「過去を解明することが、これからの未来に繋がる」

伊東英朗監督インタビュー

Q: ビキニ環礁の水爆実験について、私たちは第五福竜丸の知識くらいしか無いなかで、とても衝撃的な内容でした。また、事件について調べていたのが、高校の先生とその生徒たちということにも驚きました。

 伊東英朗(IH): この事件に光をあてたのは、政府でも科学者でも団体でもなく、高校生だったわけです。そのことを俯瞰して考えると、大人がやらないで高校生たちがこの事件に光をあてないといけない、という状況があったことに憤りを感じます。この事件は、もっと多くの人たちの手によって解明されないといけないし、本来は国が調査をして、解明しないといけない問題ではないでしょうか。今回、映画化した最も重要な理由は、この映画を自主上映していただいて、各地での事件に関する調査をして欲しい、つまり市民レベルの調査をしてほしいと呼びかけることでした。各港の情報を集めて、調査のデータを積み上げていき、次のステップに持っていかなくてはいけないと思います。

 Q: 8年もの長い時間、取材をされてきた訳ですが、一番苦労したことは?

 IH: それは、誰もこの事件に興味を持ってくれなかったことです。私はこの事件を知ったとき、本当に衝撃を受けました。アメリカエネルギー省の機密文書が見つかり、日本全体が被爆していたことを知ったときも、これは大変なものが見つかったと、震えるくらい驚きました。それについて、周りの人に見せても「あっ、そう」で終わってしまう。市民レベルの調査をお願いしても、誰も動いてくれませんでした。取材の大変さより、だれも興味を持ってくれなかったのが辛くて、やめようとも思いました。そんななか、3.11の事件が起こりました。その後は、みんな一斉に放射能に興味を持ちだしてくれたわけですが、そのきっかけがあまりにも悲惨すぎる。放射線が塵に付着して風で拡がるとか、ホットスポットのように雨で放射能が溜まるという、60年前にアメリカエネルギー省が作っていた資料で、当然のこととしてわかっていたことが、知識として知られていなかった。そのことを考えたときに、きちんと事件を解明し、そういった知識があればもっと被害が拡がらずに済んだこともあると思ったのです。

 Q: アメリカエネルギー省の機密文書が出てきたというのは、どのようないきさつだったのでしょうか。

 IH: あの資料は、元々大学の先生から提供していただいたものです。機密文書は、何年かするとオープンにされます。特にエネルギー省の機密文書は、とても機密性が高いので、重要部分は削除されているのですが、自分が調べているなかで、先生からもらった資料と同名の資料が出てきたのです。それは先生からいただいた資料よりも削除部分が少ないもので、そこから重要な情報がわかってきたのです。みなさんにアメリカのそういった資料を探すのは大変だったでしょうと言われるのですが、全くそんなことはなく、自宅のインターネットで簡単に調べることができます。いろんな情報がオープンになっていながらも、誰も調べていないのです。ですから、私は皆さんにも是非調べてほしいと呼びかけています。

 Q: 実は山形にも被爆した漁船があると聞きました。

 IH:山形に「尾形海幸丸」という船があって、当時その船は第五福竜丸のすぐ近くで操業しており、被爆したようです。船体から10000カウントの放射線がでていると当時の新聞に載っていました。山形にも実は被爆した船があったということを、山形のみなさんにも知っていただき、是非調査をしてもらいたいです。

採録・構成: 奥山心一朗
インタビュアー: 奥山心一朗、桝谷頌子
写真撮影・ビデオ撮影: 桝谷秀一
取材日時: 2013年3月3日(日)

以下お寄せいただきましたご感想をご紹介いたします。

  • 「弱い者へしわ寄せが来るのは、昔も今も変わらない」知らない事が本当に恐ろしい。また、知らせないでいる権力(国、アメリカ、業界もそうでしょう)は犯罪者でしょう。「事があまりにも重大だから知らせない方がいい」ということはいろんな局面で実際にいろいろあったのだと思います。ビキニでの6回の核実験でのその後の放射能の広がり、日本もすっぽり入り、またアメリカ本国も多くバラまかれ、何とも恐ろしい事実でした。人間は核を使いこなす事はできない。そのおそれを真に考えず受け止めず、核開発、核実験を重ねたその愚かさ。そしてその犠牲になった人々の無念さ。残された人の悲しみ。フクシマからまだ2年しかたっていない現在、原発再稼働をすすめる政府、絶対許せないと改めて思います。(48歳、山形市)
  • 人間は忘れる動物である。本当にそうである。特に日本人は。戦後、長い間政権を握ってきた自民党は反省もなく。そして民主党も。そしてまた自民党が戦争をまたやりたくなった。日本を日本人を巻き込む、憲法を変えて、平和をなくす、自民党を公明党他の政党は絶対許さない。私は生命をかけても平和を貫きます。東根でもやってもらいたいです。(62歳、東根市)
  • 亡くなった船員の奥様が語った「補償やなんやらよりも、今日明日の生活の方が大事やった」騒ぎを大きくして「風評被害」を拡大しては生活が成り立たない・・・。まさに今の福島、東北の現状。庄内では「食の都・庄内」で頑張ろう!という機運。放射能の話、原発の話がしにくい・・・。すでに水爆実験後の放射性物質の拡がりを米政府は把握していた。200万ドルで手打ちをして「一件落着」にしてしまった。福島第一原発から今も太平洋へ流され続ける放射能。その莫大な補償金は想像もつかない。その免除の代償として日本のTPP参加を求めているのか?巧妙なシナリオがあるような気がする。「南海放送です」「NHKです」「○○新聞です」と名乗れば取材に初対面で応じてくれるんですね。独立プロや小さいグループでドキュメンタリーを製作されている方はそうはいかないのでしょうね。赤いこガニがセメントをコツコツとうがつように、コツコツやるしかないですね。加茂の被災船・・・気になります。「こんな歴史上の大事件が知られず埋もれてしまうのは悔しい」第五福竜丸、久保山愛吉の名は教科書にも載っていた(ような気がする)けど、他にも多くの人が苦しみ、補償も受けずに闇に葬られているとは!(51歳、鶴岡市)
  • 「いつの時代でも変わらない」と年をとってから言わないように過ごしていきたいと思いました。企画、運営ありがとうございました。(38歳、須賀川市・山形市)
  • 南海放送と山下さんの取り組みは素晴らしいです。仙台の者ですが、2011年12年13年と宮城県医師会、仙台市、宮城県主催で放射能に関する学習説明会がありました。一様に今後ガンで死ぬ事はないと言い、特に2013年2月の県主催の学習会では東北大放射線学教授は、ある程度の放射線をあびた方が長生き出来ると話し、放射線技師による説明もその教授と同じ内容で、教育がこのようになされているのかと愕然としました。
  • たしかに大きな事件であった。それなのに歴史に埋もれている。米国の「隠蔽」にその元があるのではないか。事実が世の中に知られるよう、上映の輪が広がればよい(64歳、宮城県多賀城市)
  • 真実が明らかにされなければならない。そして、事実を引き継ぐ必要がある。関係者の方、頑張って下さい。(45歳、山形市)
  • 中高生にも見せたい映画だった。春休み、夏休みもしてほしい。(山形市)
  • 全く知らない事で、衝撃的でした。この内容は、アメリカ政府、日本政府にとって都合の悪い事かと思いますが、地方局で圧力とかがなかったのかと心配になりました。福島の事もあり、少しずつ関心を持つ方が増えていると思います。私も身近な人に伝えたいです。頑張って下さい。(山形市)
  • こんな大きな事件が私の生まれる前にあったとは知りませんでした。映画を作って下さった事に感謝申し上げます。個人的に「津波のあとの時間割」が見たかったのですが仕事の都合上見れませんでした。再び上映して下さるようお願いします。(47歳、山形市)
  • 仙台から来ました。「X年後」と「天栄村」を見ました。ドキュメンタリー映画、とても素晴らしいのに、なかなか広く一般に知られていないのが残念に思えて仕方ありません。「X年後」は初めて知る事が多く、知らない事、また、知らされてない事のこわさを感じました。(63歳、仙台市)
  • ドキュメンタリー映画祭については知ってましたが上映作品を見たのは初めてです。認識が変わりました。「X年後」は大変驚くことばかりの事実を知りました。作中で日本の質、日本人としての質が問われているとの言葉に現代社会の日本の在り方を考え、政府の進む方向性を考えると今、まさに日本人一人一人の質が問われていると思いました。赤い子の開ける小さな穴すら必死で埋めようとするマスコミを巻き込んだ動きにも恐ろしさを感じています。穴を開ける赤い子が全国に無数に広がる国にしたいものです。これからも映画を通して発信続けて下さい。私より若い方が多くうれしくなりました。(61歳、山形市)
  • 「X年後」を見たくて仙台から来ました。原爆、戦争・・・、何千年も前からこの構図は繰り返されているのを痛感しました。山下先生、そして伊東監督、映画に出演し語っていた年輩の男女、全てが素敵でした。淡々と語る言葉に力があり、日本も捨てたものではないと誇らしくなりました。声高に主張するよりも、何千倍も映画の力は訴えかけてくるものが大きいです。毎日新聞で記事を見つけて、どこかで「X年後」の映画見られないかと探していたのですが、仙台ではありませんでした。ここフォーラム山形に初めて来ましたが、見たい映画がたくさん。ちょっと遠いですが。(仙台市)
  • 今では、放射能線について色々なデータがありますが、1954年頃は放射線の怖さを知らなかったのでしょうね。又、本人家族が裁判等に出なかった理由、行きて行く為にしかたなかった事、そのために消し去られたと言うか、調査、地道で長い年月がんばって調査したと思います。映画にならなければ知らない事もたいさんありました。

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